京都𠮷兆の歴史 阿加井秀樹
みなさんこんにちは。
阿加井秀樹です。
今回も京都𠮷兆をご紹介していきます。
創業した当時は大阪で営んでいましたがいつ嵐山に移転したのでしょうか。
それは昭和23年1948年に京都嵐山の古美術商「米山居」児島嘉助氏の別邸を、児島氏の亡くなられた後ご子息から譲り受けて嵯峨支店を開店したそうです。
当時の財界人がポケットマネーで資金援助して下さるなど、
様々な方々の支えがあったといいます。
京都吉兆の料理は日本料理の根幹となるもので、
誰かを幸せにする料理を考えて、提供し続けています。
初代の湯木氏が築いた日本料理の本質を伝えるには飽くことなく様々な挑戦をしていくべきだと三代目の邦夫さんも言っていました。
90年が経過し受け継がれるものは料理だけでなく数寄屋造りの建物、美しい庭、掛け軸や調度品など多岐にわたります。
形あるものだけでも、挙げ切れないほどです。
さらにジャンルを超えて新しい味覚を織り交ぜた多彩な品々が魅力的で、
国宝級の器に調和する華やかな盛り付けと、
春は桜、夏は鵜飼、秋は紅葉、冬は雪景色といった周辺の景色が五感を刺激し、
料理をさらに盛り上げています。
吉兆 嵐山本店のコース料理で提供される人気メニューに白魚御飯があります。
昆布だしの旨味たっぷりに炊きあげられたご飯と生白魚の上には柿の種で上げた白魚、錦糸卵、木の芽が散らされ、一口食べるとホロホロと崩れる白魚とサクサク食感の白魚がたまりません。
遊び心もいっぱいの色鮮やかなメニューです。
それではまた。阿加井秀樹